COLUMN

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2026.05.02

北海道とシェーカー Life on the 42.5° North Line

Brick by Brick / 豊頃

Brick by Brickは、十勝の太平洋沿岸にある豊頃町という小さな町を拠点に活動しています。Mingさんの拠点のある千歳とは、およそ200kmの距離があります。その距離を移動しても、北海道のほんの一部を動いたにすぎないと考えると、北海道の規模感には圧倒されます。

豊頃と千歳は、実はほとんど同じ緯度、北緯42.5度に位置しています。この緯度線を海の向こうのアメリカまで伸ばして眺めると、シェーカー最初の定住地であるWatervliet、総本山であったMount Lebanon、現在東部最大のシェーカーミュージアムがあるHancockなど、いくつもの主要なコミュニティがこの線上にあることがわかります。


十勝地域の西、千歳との間には雄大な日高山脈が連なっています。同じように、シェーカーコミュニティーもアパラチア山脈の北東にあるニューイングランドだけでなく、その西側、いわゆるアメリカ中西部にも広がっていきました。最北東のメイン州Sabbathday Lakeから、最南西のSouth Unionまで、その広がりは直線距離でも1500kmに及びます。

 

同じ緯度帯にあり、大陸の北東、大洋の西に位置するという点で、北海道とニューヨーク州、そしてニューイングランド周辺地域は、地勢的によく似ています。そして、その気候にも共通点があります。

 

束の間の夏と、長く厳しい冬。それに伴う大きな寒暖差。一年を通して比較的安定した降水量ーーこうした条件のもとでは、針葉樹と広葉樹の混ざり合った豊かな森林が育まれます。気候と降水量によって地域区分を行うケッペンの気候区分でも、これらの地域は同じDf(冷帯湿潤気候)に分類されます。ケッペンの区分は「気候が似れば植生が似る」という視点を持っていますが、北海道で親しまれるマツ、カエデ、カバ、タモ、ナラといった樹木は、北米東部でも同じように身近な存在です。

Mount Lebanon / NY シェーカーの街並み

植生とは、自生する植物だけを指すものではありません。そこに暮らす人々が育てやすい農産物にもつながっています。私の住む十勝地域の特産である豆、小麦、とうもろこしといった作物は、シェーカーの暮らしにおいても時には食料として、時には素材として欠かせない農産品でした。

 

また、似た自然環境では、野生であれ家畜であれ、似た動物たちが見られます。牛は乳製品や食肉として育てられ、馬は交通手段と農作業のために飼育されました。アメリカではコットンは早い段階から市場が整っていましたが、羊から集めたウールは彼らの衣類に欠かせない繊維でした。広い土地や冷涼な気候は飼料確保や健全な生育に向いた条件となります。北海道のヒグマと北米のグリズリーのような象徴的な大型野生動物もまた、長い冬に耐える習性を備え、厳しくも豊かな森林の奥で生きています。

Round Stone Barn – Hancock / Mass シェーカー建築で代表的な石造りの円形畜舎

こうした樹木や草花、農産物や動物、あるいは石や土といったさまざまな素材と人々の関係性が、その土地の暮らしや文化を形づくる源泉になります。「自然環境が似れば、暮らしや産業の風景もまた似る」ということです。

 

その土地の気候に応じた建築が選ばれ、そこで得られる素材を用いた家具が生まれ、仕事や生活に必要な道具が工夫されていきます。自然に応じるというのは、単にどの木材を使うか、もしくはどの繊維を作るかといった物の選択だけでなく、例えば日照時間の長さや季節の移ろいによって、一日の働き方や暮らしのスケジュールを調整するといった習慣そのものにも影響があります。

 

とりわけ、ものづくりやクラフトとは、その土地の自然環境に応じて選ばれた形や用途、素材、加工方法、使い方といったさまざまな判断を「物」として残す行為でもあります。自然と人間の関係を知ることのできる数少ない営みであると言っても良いでしょう。時を経て場所を変えても、再び触れることができる営みです。

Enfield / NH フィールドワークの様子

もう一点、シェーカーと北海道の暮らしには重要な共通点があります。どちらも、外部から来た移民たちによる開拓地の暮らしであったということです。アメリカにおけるネイティブアメリカン、北海道におけるアイヌの暮らしや文化の上に、各地から流入した人々の生活文化が重なっていく。その重層性に特徴があります。

 

単一の伝統やフォークロアというよりも、文化的融和やカルチャーミックスが基調となることは、開拓地の暮らしにしばしば見られる性格です。とりわけシェーカーにおいては、開拓以前のアメリカの土着的な暮らしの上に、移住者たちが抱えてきたヨーロッパ諸国の生活様式が持ち込まれ、さらに彼ら独自の宗教思想を通して実践されました。そうした長い積み重ねの中で、今日私たちはシェーカーを一つの文化として見ることができています。

 

決して、宗教だけが彼らの暮らしを特別にしていたわけではありません。地域性や歴史背景など、さまざまな要素が「人と自然との関係」の隙間に織り込まれていくことで、文化に彩りと豊かな質感が与えられるのです。

 

現代では、世界のどこにいても多くのものを手に入れられる時代になりました。それは大きな恩恵であり、私が十勝にいながらシェーカーについて学びを進められていることもその一つです。一方で、さらなる技術革新や社会の変化は、世界とのつながりを否応なく広げていくでしょう。そのとき、自分の暮らす土地や自然との繋がりをどう結び直すのかもまた問われることになるように思います。ものづくりというのは、その結び目になりうる営みでもあります。

South Union/KY

どんな暮らしをすることができるのか。どんな暮らしをしたいのか。そのバランス。その問いは、かつてシェーカーが見つめ続けていた問いであり、いまを生きる私たちの問いでもあります。

 

text   Brick by Brick 白木克洋



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